2007年4月12日 (木)

具の入ってないピザの話 その2

3人で歩いてお店に行く途中、何ピザにするか話し合って

いたのですが、それ以前にお金をいくら持っているか

話し合うべきでした。

お店に入って気づいたのですが3人合わせて1700円しか

持っていませんでした。

若干ヤバイと思ったのですが、もう後戻りは出来ないので

少ない選択肢から悩んでいると、やっぱりMサイズでは

量が足りないということになりLサイズを頼むとトッピングが

1つも入れられない状態になりました。

しかしみんなバカだったので、そのまま頼んで具の無い

チーズだけのピザを注文しました。

待っている間お店の人がかわいそうに思ったのか缶コーラを

2つくれました。

焼きたてのピザを持って寮に帰り3人で食べたのですが

パリパリの生地にとろけたチーズで思いのほか美味しかったです。

今度お金が手に入ったらたくさん具の入ったピザを食べようって

話し合ったのですが、いつのまにかそのままになってしまいました。

あの頃は高校を出たばかりで何も持ってなく自室には

布団とテレビと雑誌くらいしかありませんでした。

まさに具の無いチーズピザです。

同期はその後、スーパーで頑張り順調に昇格して家庭を持ち

子供も出来て、具のたくさんのったピザになりました。

自分はいまだにチーズのみです・・・・。

これからどんな具をのせて行こうか考え中ですよ。

                              おわり

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2007年4月11日 (水)

具の入ってないピザの話 その1

定期的に郵便受けに宅配ピザのチラシが入りますが、

実は宅配ビザを食べたことが生涯3度しかありません・・・・。

高校の時の誕生日に一度、クリスマスに一度、そして

社会人になった時に食べた思い出のピザの話を

書き留めておきたいと思います。

 

高校を卒業して広島にチェーン展開しているスーパーへ

就職することになり、当時は西区の鈴ヶ峰に独身寮が

あったので高卒・大卒の同期入社の人達と入居しました。

寮には寮母さんが居て晩御飯が毎日用意されていたので

食べるのには困らない生活でした。

しかし月に2、3回寮母さんのお休みの日があって自分で

用意する日がありました。

まだ初任給も出ていない頃、高卒の同期3人で集まって

晩御飯を考えていました。

一人が寮の近くに宅配ピザのお店を見つけたと話し出し

じゃあみんなでピザでもとってみるかと話したのですが

電話が無かったので歩いて買いに行くことになりました。

宅配ピザなのに・・・・。

                             つづく

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2007年3月16日 (金)

親父の手がおじいちゃんの手になってた その5

今年の元旦に親父とかあさんと一緒に三原のジャスコの

初売りに行って来ました。

親父の運転する車の助手席に乗っていたのですがMT車を

ずっと乗っているのでクラッチレバーがよく自分の足に当たります。

久しぶりの親父の運転する車に乗っていると親父の左手が

自分の記憶している手からかなりの年月が経っていたのに

気づきました。

手がかさかさでしわの数も増えています。

あの日、病院で握った手からもう10年経ちました。

白髪の割合も増えて一般的におじいちゃんと呼ばれる年代になり

親父もすっかり歳を取ってしまったんだなと思うと少しだけ

寂しくなってしまいました。

 

あの頃から抱えていた消費者金融への借金も増えたり減ったり

しましたが何とか今月で10万円を切れそうです。

少しずつ前に進んでいきます。

サクラの季節には間に合いそうにありませんが映画やドラマのように

軌跡の展開があるわけではないので地道に進むしかないですね。

まだまだがんばります。

                             おわり

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2007年3月15日 (木)

親父の手がおじいちゃんの手になってた その4

2日後、病院にいる母さんから電話で親父の意識が戻ったとの

連絡が入りました。

急いで病院へ行き一人部屋の病室へ案内されると寝た状態の

ままでゆっくりと目を開けている親父の姿がありました。

ベットの横まで行くと自分に気づき目線だけこちらに向けてきました。

ろれつのまわらない口で親父がゆっくりと話します。

「お・・・おぉ・・・ありがとう・・・すまない・・・。」

親父にあやまらなければいけない事がたくさんありました。

心配かけてごめんなさい。

自分勝手でごめんなさい。

中途半端でごめんなさい。

ダメな人間でごめんなさい。

親孝行出来なくてごめんなさい。

でも言葉にすると泣いてしまいそうだったから

「もう大丈夫・・・。」

と言って親父の手を握りました。

親父の手が少し動き握り返そうとしているのが分かりました。

ゴツゴツして硬い親父の手です。

無口で不器用だけど一生懸命育ててくれた親父の手です。

 

ちゃんと生きなければと思いました。

無駄に過ごしてしまった時間は取り戻せないけれどこれからの

時間を大切にしなければと、これ以上落ちる訳にはいかないと

思いました。

その後、パチンコ屋の仕事を年末までで辞めて、もう一度

尾道に戻り、母さんと一緒に親父の看護をします。

親父は何とか障害が残ることも無く社会復帰して問題無く

生活しています。

そして話は今年の正月に進みます。

                              つづく

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2007年3月14日 (水)

親父の手がおじいちゃんの手になってた その3

しばらくして医師から今後の事を説明するので家族に集まるように話がきます。

医師の話では発見が早かったので大事には至らなかったが意識が

戻ってからどの程度障害が残るかは分からないと言う事、言語的な

ものか半身不随等の身体的なものか、またはその両方か個人差も

あるので何とも言えないけれども、きちんとリハビリを行えば回復する

可能性も高いとの事でした。

厳しい現実を目の前にして誰も何も言えない中で、かあさんが話し出します。

「何年掛かっても私がお父さんの病気を治す、死ぬまで一緒じゃけぇ・・・・。」

覚悟を決めた人間の目を中途半端な人間の自分はまともに見ることが出来ませんでした。

 

夕方になり今日は実家に戻る事になりましたが、かあさんだけは

残ると言い張るのでおばあちゃんを乗せて実家に戻りました。

眠れない夜になり、考えても考えても悪い方向へ進みます。

親父が倒れたのは自分のせいだと思いました。

スーパーを辞めて一旦地元に戻ったけれど不景気で仕事も無く、

借金は増えるし車のローンは払えないし精神的に行き詰まって

家から消えるように広島に再度出て行ったのですが、いい加減な

人間がまともな就職が出来るはずも無く、恥ずかしくて両親に

連絡出来ないまま適当に暮らしていました。

両親に迷惑を掛けてないつもりでした。

しかし、この生活が一番両親に迷惑を掛けていたのでした。

                                 つづく

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2007年3月13日 (火)

親父の手がおじいちゃんの手になってた その2

1時間ちょっとで尾道に着き、そのまま病院へ直行して

看護婦さんの案内のままに集中治療室に向いました。

集中治療室の前ではかあさんと兄と姉と母方の

おばあちゃんが揃っていました。

正直合わす顔が無かったのと重苦しい雰囲気で言葉も

出ませんでしたが、かあさんはダメ人間の自分を怒ることも

せずに親父に会うように言いました。

明け方近くトイレの前で不自然ないびきをかいて倒れているのを

かあさんに発見された親父はすぐに救急車で運ばれ、病状を

聞いた医師の判断で割と早く急性くも膜下出血が発見されたそうです。

そのまま頭頂部の開頭手術を受け最悪の状態を脱した親父は

髪を全て剃られ包帯でぐるぐる巻きにされて麻酔をされたのですが

いつ目が覚めるか分からない状態のままベットで寝ていました。

見たことの無い痛々しい姿に思わず涙が出そうになるので何度も

目を反らしそうになりましたがちゃんと見なきゃダメだと自分を

奮い立たせました。

心のどこかでこれが最後になるかもしれないと思っていた節もあります。

                                    つづく

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2007年3月12日 (月)

親父の手がおじいちゃんの手になってた その1

東京タワー見てるとどうしても実家の両親を思ってしまいます。

前にも書きましたが22歳の時に色んな事が上手く行かなくて

1年間住所不定で過ごしていた時があります。

当時はネットカフェなど無く安易に泊まる場所が無かったので

車で速谷神社の駐車場で寝たり廿日市の木材港で寝たり

友達のワンルームマンションへ泊めてもらったりしていました。

あまり迷惑を掛けられなかったので寮のついているパチンコ屋で

働くことになりダメ人間だったので半年で次のパチンコ屋で働くことになります。

何もかもが中途半端で人生の目標も見つからず、ただただ

上手く行かない毎日に目を背けるようにパチンコやスロットを

打ち続けては負けて借金を膨らませていました。

年末も押し迫った頃、教えてないはずのパチンコ屋の

お店の電話に朝かあさんから電話が掛かってきます。

親父が倒れて入院したとの事でした。

病名は急性くも膜下出血です。

すぐに車を飛ばして尾道に帰ります。

ハンドルをガタガタ震える手で握りながら

俺の親父なら大丈夫・・・俺の親父なら大丈夫・・・

と何の根拠も無い理由をつぶやきながら高速を走りました。

そして実家に近い病院の集中治療室で意識の無い

親父と対面することになります。

                          つづく

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2007年3月 3日 (土)

ノライヌはいつだって必死だ その2

集団からはぐれた2匹のノライヌ、1匹は柴犬の雑種で痩せぎすで、口の

周りが黒く、いつもちょろちょろしてよく他の犬のエサを横取りしていたので

コソドロからドロって呼んでいました。

もう1匹はシベリアンハスキーと柴犬の雑種で淡いブルーの毛並みに体が

大型ハスキー並みに大きいのに顔が柴犬という何とも気の抜けた風体を

していたのでバカハスキーと呼んでいました。

2匹はいつも一緒で夜、仕事を終えた自分のトラックが物流センターに

戻ると裏門の柵の間から抜けて入ってきて出迎えをしてくれました。

先輩たちも同じトラックなのに何故か自分のトラックを見分けていたので

イヌの能力はすごいと思いました。

運転席から降りると飛びついてきます。

ドロは嬉しいと、たまに嬉ションしながら来るので困りました。

バカハスキーが飛びついてくると前足がみぞおちにヒットするので

お前は飛びつかなくていい、と注意しました。

一緒に遊んでいると疲れがふっとびます。

配達先のホームセンターで買ったお徳用の大きなビタワンの袋から

手渡しでエサをあげます。

最初の頃は遠巻きにいてエサを投げないと食べませんでした。

やがて恐る恐る近づいてくるようになり、バカハスキーは降参したかの

ように横になりお腹を見せてきたので、

そんなことしなくていいよ、ハスキーなんだからもっと堂々としなくちゃダメだ。

と話しました。

とにかく生きていくために2匹も自分も必死でした。

                                     つづく

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2007年3月 1日 (木)

ノライヌはいつだって必死だ その1

自分の部屋のPCを置いてある机にはノライヌの写真が飾ってあります。

「日曜日はイヌ画像の日」のノライヌ達ですが、そもそもノライヌ好きに

なったのは、ある2匹のノライヌとの出会いでした。

10代の頃、親父が柴犬を飼っていたのですが寿命を全うすると、

かあさんが別れが悲しくなるという理由でイヌを飼うのをやめました。

24歳の時に福山に本社のある最大手の運送会社にトラックドライバー

として働いたときがあります。

所属支店は尾道物流センターで向島や因島に集配に行っていました。

ちなみに物流センターは数年前に閉鎖されてしまいました・・・・。

トラックドライバーの拘束時間は長いです。

朝7:00に出社して夜中に届いた荷物を地域ごとに仕分けてトラックに

積み込むのですが自分は若手だったので要領が悪く先輩に怒られたく

なかったので6:30に出社して準備していました。

午前中に荷物を配達して依頼があれば荷物を集荷して尾道支店に荷物を

集約しに行きます。

昼からはお昼に届いた関東便を配達して担当地域を集荷してまわり、夜に

尾道支店に荷物を集約しに行きます。

大体仕事が終わるのが夜の8時前後でした。

クタクタになって疲れて帰るので遊ぶ余裕は無く、先輩も含めていつも体の

どこかを痛めていました。

物流センターは工業団地の途中のちょっと山を上ったところにあります。

自然にノライヌが集まり5、6匹のノライヌの集団がありました。

その集団からはぐれた2匹のノライヌが自分の友達でした。

                                        つづく

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2007年2月19日 (月)

シュークリームの思い出 その3

ところが、かあさんから貰ったシュークリームの生クリームは

白くてふんわりとして、しかも上に白い粉が振ってあります。

なめると甘かったので、たぶんシュガーパウダーです。

初めて食べる生クリームの美味しさにびっくりしてかあさんを

見上げると、ウンウンと微笑んでくれます。

外は寒かったけど嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

今では何でもないシュークリームの話ですが自分に

とっては忘れられない思い出です。

しかしよく考えてみれば、かあさんは休憩時間に他の人が

食べているのを我慢して、お腹が空いているのも我慢して

自分のために取っておいてくれたのだろうと思います。

・・・・・・・・いつもそうだった。

子供のためにいろんなものを我慢して・・・・。

自分がバカだから気づくのが遅すぎました。

自分は本当にダメな人間だと思います。

早く借金を完済して親孝行したいです。

かあさん、なるべくそのまま元気でいてください。

次に実家に帰るときはシュークリームを買って帰ります。

親父と一緒に食べましょう。

                      おわり

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